かつての消費者金融三洋信販が無くなった事から学べる事
かつて存在していた消費者金融
三洋信販は昭和21年11月22日に創業された、消費者金融でした。しかし、平成22年10月1日に大手消費者金融プロミスに吸収合併され、解散してしまっています。合併する前は、ポケットバンクと言う愛称の無人契約機が有名な、福岡に本店を置いていた会社でした。ポケットバンクのCMはテンポの良い歌とマスコットで、小さなお子さんでも名前は覚えていたという事がありましたね。
何故三洋信販は無くなってしまったのか?
当社は最初、九州を主として、西日本を地盤に活動していました。しかし、後に東日本を中心とし、全国展開を試みます。傘下には、クレジットカード会社であるポケットカード株式会社を擁していました。また、三洋とありますが、三洋電気や三洋証券とは一切無関係だったそうです。三洋信販はもちろん違いますが、闇金業者の中にはこうした有名な企業を偽って騙すタイプも存在しているので注意したいですね。
全国展開を試みることもあり、CMや「ポケットバンク」で有名になっていた当社でしたが、2004年の1月に、とある大事件が起きてしまいます。消費者金融の一時代を気付いた大勢力の武富士もそうですが、消費者金融として生き残るか否かはこうした引き金がかなり関わっています。
それは、『全顧客のデータが流出する』と言うもので、その個人情報を使って、顧客宛に架空請求や、融資の勧誘(つまり融資詐欺)などの郵便物が送り付けられると言う事態に発展、2006年9月にはその情報が入ったCD-ROMが出回っていることが週刊誌で報じられました。これは致命的なミスです。
更には、2006年12月、『顧客取引履歴を改竄する』と言う事態が発覚。受け取り過ぎていた利息の返還額を抑えるための行為でした。この行為は「貸金業規制法違反」と判断され、同年同月の20日には、業務停止命令が下ってしまいます。期間は2007年の1月15日から26日の12日間でした。データ流出ほどの被害は出ていないと捉える事も出来るかもしれませんが、多少ペナルティとしては軽くも見えそうですね。
そして、2007の7月に、プロミスによる買収を受入れ、子会社となります。そして、同年同月の31日には、プロミスが朝日エンタープライズ株式会社(創業家の資産管理会社でした)を買収、完全子会社化したため、傘下に入ることとなりました。
その後、同年の12月26日に朝日エンタープライズの完全子会社となり、そのおよそ三年後に、朝日エンタープライズと共に吸収合併されました。創業者である椎木正和さんは、2007年9月30日には、既に代表職を退任、創業一族から手を引いていたそうです。
一度のミスが大きな被害に繋がる消費者金融の世界
ご覧のとおり、消費者金融が預かる顧客の情報というのは、非常に重要なものです。それが流出、しかも不正利用されてしまった事案が出てきたとなれば、さらに厳しくなった金融業界で生き残る事はかなり難しいと言わざるを得ません。
ポケットバンク自体の知名度は良くてシステム自体は悪くなかっただけあって、利用されたことのある方の中には残念に思う方もいらっしゃるでしょうね。